Quo Vadis

多趣味な自分の行く末を問うてみる・・・

CDとサブスク

売ってしまったものもたくさんあるが自分はCDは1万枚以上所有している。 が、結局のところ現状、一番良い再生システムは、DAW音楽制作からのモニタースピーカーで鳴らす、という環境。 となると、CDで鳴らしてもデータで鳴らしても実質変わらない(PCのファン音つうのはある)

かといって、今更マテリアルにこだわってSACDだのの環境を100万以上かけて構築するなんてのは馬鹿げている。

(SA)CDは工業製品だからロット(何百枚とか)単位での制作が必要なので、結果的にはマーケティング的な需要がどうしてもついてまわる。 つまり言い換えるとやりたいゲームも(少)ないのに最先端のゲーム機買ってもねえ、というワケである。

なんならハイレゾで買えばデータ上はCDを凌駕する。

レコードは場所がないのでプレイヤーはあるが数枚。

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一度ハードディスクがキュルキュルいって、リッピングしてたmp3や写真が取り出せなくなったことがある。 それ以来は2台をraid組んだりもしたけど、最近はサブスク配信も少なくないので、ながら聴きみたいなレベルならサブスクの方がラク。 厳密に聴けばリッピングしたflacのほうがまだリッチだけれど、そんなのは来たる5G時代になれば配信音源の音質もあがるだろう。

とはいえ、様々な権利やアーティストの意向などで配信されていない(そしてされる見込みも薄いんだろうなーという)ものはどうしても存在する。 なので、自分は5万曲までアップロードできるGoogle Play Musicを使っている。

また、自宅以外で一番きくのは移動中の車内。 昔は別途車載カーナビのHDDにせこせこ録音してたけれど、今の自分のカーナビ(マツコネ)はハードディスクがない。 かといってUSBで刺す程度じゃ曲数が圧倒的に足りない。 第一運転中に曲操作とかしてられないので、自然、プレイリストを作って対処している。 昔はiTunesとiPodTouchでやっていたが、今はサブスクそのものでプレイリストを作っている。

ただ、そのプレイリストも100個を超えた。入れ子構造とかできないものかね・・・

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基本的に変わろうとしない退嬰的な方々は、自分が確立した方法論を変えるのが面倒くさいだけである。 新しい技術のデメリットだけをことさらに強調するが、ただ単純に「面倒くさい」を言い訳しているだけ。 フラットに立てば要は「どっちもメリットがあって貪欲に吸収」すべきなのです。

そしてその「やらないこと」を非難されるかのようだから、ことさらにCD至高を唱える。 しかし、貪欲に吸収すればするほど、書籍もそのように参考資料含め部屋の中が魔窟になるw そうなれば結局のところサブスクが実用的にも利便性が増す。

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ま、現実の新譜CDショップはファンアイテムの集いみたいなそんなレベルに収斂されていくだろう。 握手券商法みたいなのは末期癌患者にむけた劇薬のようなモノだ。

CDの売り上げで某社屋が新しくなった、とかあの90年代は、結局、長い意味でバブルの恩恵だったんだろうし、かつ団塊含めて人がまだ多かった時代の日本の残渣みたいなものだったんだろう。

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レコードや一部カセットテープがもてはやされてたりするけれども、レコードのもつ「遊戯性」のようなもの、 つまり盤をセットして回転、針をセットしてきく、といった一連の体験型のメリットはある。

が、それはそういう時間がある人、そしてそういう時間をとろうという意識のある人向けなのだ。 そりゃロマコンやラフィットみたいなDOCワインを、テーブルワインのようにがぶがぶと飲むのはアホだ。 ただ、可処分時間の奪い合いというぐらい娯楽に満ち満ちた現代の日本で、そんなスローライフな数時間もかけた夕食を取れるのか、というのは結局この音楽を愉しむという行為にもつながる。

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そこまで向き合うことができて「音楽鑑賞」なのかもしれない。