読書レビュー「神奈川のなかの朝鮮」
1998年刊。
- 作者:『神奈川のなかの朝鮮』編集委員会
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 1998/08/17
- メディア: 単行本
概要
図書館で見つける。
個人的には渡来人や、それに関する文化・地名など、そういうゆかりについて知りたかったのでちょっと期待していたのとは違った。 目次みとけって話だけどw
第一章は古代、中世~江戸までをざっくり。 むしろここを充実させて欲しかったかなという。
第二章以降は関東大震災(大正)以降のいわゆる徴用とか「実はこの地にも」というスタイルがほとんどな印象。
いきなり脱線
朝鮮関係ないのでこの本には一切書いてないが、渡来人というくくりで見ると神奈川のこの辺には古代の中国人にゆかりの場所が松田にある。 小田急線と御殿場線の乗り換えで使われる松田駅を北にむかうと、シダンゴ山というナゾな名前のちいさな山(標高758m)がそれで、以下wiki引用。
飛鳥時代に、仏教を寄(やどりき)の地に伝える仙人がいて、この山の上に居住し仏教を宣揚したといわれている。この仙人を「シダゴン」と呼んだことからこの地名が起こり、「シダゴン」が転じて「シダンゴ」(震旦郷)と呼ばれるようになった。
震旦(シンタン)というのが古代・秦の別名で、シンタン人の郷→シンタンゴウ→シダンゴ、という流れの模様。
実際に現地に行ったコトもあるが、ここではシンタンとは(阿)羅漢の事である、と石碑。
まあ羅漢は仏教でレベルカンストした偉い方みたいな意味なので、そういう仏教にゆかりのある渡来系がいた、ということなのか。
以前調べた時にみたブログでは、このときに来た渡来人は徐福ではないか、といういわゆる徐福伝説につなげる人もいたw
秦の始皇帝から「不老不死の仙薬」探してこいやと命令された人。
壮大に脱線しましたがw、この辺のコトといくつか一脈通じるものがあるのではないか、という思いがあってこの本を手に取ったというのはある。
一応本文より
以下、本文よりアンテナささったところのメモ書き。
大磯の高麗山について。
標高168mの里山だが東海道五十三次の平塚宿にもその姿が書かれている。
分県登山ガイド・神奈川の最後51にも紹介されている
続日本紀(しょくにほんぎ/日本書紀に続く歴史書)あたりにも記載があるというけれど、このあたりのわかりやすい解説文献ってあるのかしら・・・
山麓の南側に唐ケ原という地名があるが、過去、もろこしが原との記載が更級日記にもあるとのこと。
山頂には寺院があって、7世紀末に滅亡した高句麗由来の渡来系の人たちが建立した、と。 明治の廃仏毀釈でほとんど壊されたが神社は残り、その明治以降、現在は高来(タカク)神社と呼ばれている。
秦野
ついでながら秦野という地名も漢字からして渡来系の秦氏に関係あるのではという発想もよくあるようだが、平安~鎌倉時代の豪族、波多野氏がルーツとのこと。 欧州の前九年合戦にもゆかりがあるそう。
津久井
津久井城山にも古代朝鮮のゆかりがあると書かれていた。 埼玉の飯能のあたりにも高麗神社とか西武池袋線高麗(こま)駅とかあるけれども。 (曼珠沙華で有名な巾着田がある) つまり現代の国道16号より外側周辺に伝播してった、ということか。
宿河原
今年の台風で河川の災害が注目を浴びているが、多摩川の宿河原あたりのハルモニ(おばあさん)の発言(93-94P)の中で、 「大雨のときも逃げませんでした」 というのがあった。
また地主の証言では1935年頃に堤防ができるまでは「青梅のほうから松や杉が流れてきて、とても人は住めなかった」。
相模原
軍都・相模原の項目もあったが、相模総合補給廠も元をたどれば旧日本軍の施設。 近隣には尾根緑道(別名、戦車道)という、今だと尾根幹線同様にチャリダー御用達の道がある。
関連施設でまとめて調べてみても面白いのかもしれない。