話題のZOOM呑み会やってみた
リモートが話題の昨今、一部?で話題のZOOM呑み会というのをやってみた。 一切画像なくてサーセンw
要はSkypeなどの時代から存在したビデオチャットによるオンライン会合。
ビデオチャットそのものはいまどき、LINEインスタ含め様々なメッセンジャアプリで出来てしまうので、わざわざZOOMで?というところはあると思う。
というより自分自身はビデオチャットそのものにそれほど価値を見いだしてこなかった環境・関係にいたので、やることそのものが初に近いw
先に結論
結局この手の呑み会はどうなのか!?
つまるところ、リアルよりも恐ろしく敷居が低い、というのがメリットなのかなと。
行けたらいくわー、って解答したは良いものの、「今から渋谷行ったらもう呑み会半分終わってるわー、どうしようかなー」みたいなケースでも、オンラインならワンクリック!
365日分刻みの人は恐らくいないと思うが、呑み会(通常2時間1セットか)として、その場所にわざわざ行くのは無理でも、在宅でちょっと合間10分できたから降臨するわー、とワンクリック!
もちろん、場の空気感みたいなものはやはり現在の技術の限界もあるしで、部屋で1人でウェーイでパリピなノリやってると「何やってんだ自分・・・」と冷静になること受け合いですw
が、それを理由にやらない人はそもそものメンタリティがもう新しいコトを拒否してますねw
どれだけ敷居が低くなろうがやらない人はやらない。ま、それもまた人生。
なぜZOOMなのか
シンプルに言えば使ってみたかった、これにつきるw
ただ、(最近のアプリは他もそうなのかもしれないが、)ビデオ会議配信者(呑み会企画者)いがいは、クライアントアプリさえダウンロードだけで登録作業なしでゲストは動画に参加可能、っていう敷居の低さがいいのかもしれない。
つまり、ビジネス用途なら、特にネットで募集した、不特定多数対象のセミナーとかああいう時に便利なのかなって。
導入の流れ
具体的には、主催者がビデオ会議を設定すると任意のurlが発行されて、それをゲストにSNSなどで送る
↓
ゲストはurlをクリックすると、PC or スマホでクライアントソフトのダウンロードを促される
↓
ダウンロード終了すると、「urlをZOOMでひらきますか」みたいな感じになって連動して起動する
ギークな人なら(或いは世代が若ければ)、ささっと登録作業して、個人IDを教えあって友達登録して、みたいな作業も問題ないんだろうが、その作業が不要、というのは結構なメリットかも。
でZOOMどうなの?
実際のビデオチャット自体は、そもそもあんまりやった事無いので他との比べようもないけど、必要充分なのかなってところ。
無料会員だと、3名以上は1セッション40分まで。2人なら無料でも時間無制限。
とは言え、1セッション40分が、ダラダラ呑み会の区切りに丁度良い、みたいな書き込みもあったw
お互いに会員登録していれば、スマホからスマホでLINE動画みたいに直で呼び出しも可能。
動画の任意の場所から録画が可能。無料だと終了後にコーディングされて、mp4とかで主催者のPCに動画と音声が残る。 (有料会員ならそのままクラウドに残るようなので、url共有が可能)
割とクリアな音質で残ります。無料会員でもyoutubeアップロードの一手間をかければ、そのまま配布はできるかも。
他に使えるのはチャット、ホワイトボード、画面共有など。
ブラウザ共有してそのままアマプラやYoutube鑑賞は可能っぽい(音声PCから共有というのもチェックいれれば可能)。 ただ自分らがやったときは相手方の回線の問題もあったのか、音声はそのまま来るけど画像がカクカクした。
一つのアカウント(メアド)で、同じ会議には同時に複数は入れない。 ログインしたまま二台目のデバイスで同じ会議に入ると、一台目は強制ログアウトされた。 ただし、ログインしないでゲストのままなら、複数端末で接続は可能だった。 任意の名前つけられるんで、スマホでもつないで部屋のものを見せる動かせるカメラとして使用する、とかはできる。
url知っていれば誰でも入れてしまうので(パスワードロックは可能)、ミーティングのロックという機能もあり、指定人数集まったらこれ以上入れなくする事も可能。
PCでは何が必要なの?
シンプルにいってWEBカメラとマイクとスピーカーかな。 ノートPCなら今時ついている事も多いけれど。
自分が10年以上前に買ったロジクールのは未だに現役で、2000円ぐらいで買える模様。
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メインPCはこのロジクールで、他ノートPC(Surfacebook)やスマホ(Zenfone5)とかいろいろ試してみた。 正直、このロジクールよりも、いまどきのノートやスマホのほうが画角も画素数?もスペック見てないけど明らかにキレイw
また、ロジクールの場合は、なかなか位置が定まらず、というのもカメラ目線とディスプレイの位置が一致しない、というのが気になった。 そのままカメラテーブル置きだと、ディスプレイを見るのと、カメラの場所が一致しないので常に上目使いになるw
その点ノートPCのインカメラは画面をみればそのままカメラ目線になるので自然。
WEBカメラはノートPCのように上に取り付けるのが理想かもしれないが、挟み込むヒンジの仕様や、取り付けの安定感、ディスプレイの位置と座る位置での、画角の限界、とかそういうのは感じた。
言い換えると、画角の狭さは余計なモン映らなくていい、という発想もあるw ビジネス用途でとりあえず映ってればOKぐらいだったらコスパ的にも問題ないと思います。
一応、仮想背景という機能は標準でついていて、画像も自分で登録できるので部屋の汚さはそこでカバー(映さないように)できる。 ただ、背景となる部屋のモノの色とカメラの質によっては、ちゃんと全てが仮想背景にならなかったりもした。
マイクはUSB接続の安いヤツで問題ないと思います。 指向性の問題もあるので、フツーのマイクスタイルか、オンライン会議用の円形のものかはお好みでって感じですけど。
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スピーカーもノートPCのスピーカーでも問題ないけど、自室で音楽かけたりとかテレビ見ながらとか、別に鳴ってる音源があると聞き取りづらいはあるかも。 (相手のマイクの集音性能にもよるかもだけど)
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スマホでは何が必要なの?
手持ちではまず安定しないしYoutuberみたいになるのでw、最低限100均のスタンドぐらいはあってもいいかも。
なんでもいいけどこういうやつね
配信やってる友人からはこういうのいいよと教えられたw
スマホだと同時に表示されるのは4名までです。
後はブルートゥースのスピーカーなり、イヤホンして歩きながら会話してる人たちみたいに用意したりそれぞれなのかなって。
昔は通話=ヘッドセットみたいな印象はあったけどまあその方が音も集音も良いだろうけど、有線だと動き回れないし、季節によっては空調次第ではイヤーパッドが暑い。 その辺はお好みで。。。
オンライン呑み会ってどう?
リモート全般に言えるけど、オンオフの切り替えや用意は、意識的にやったほうがいいなと。 言い換えると、単純に部屋を片付けておくとか。人様に会う格好をしておくとかw
ただとりあえずやって見た感触だと、部屋はそのまま映したとしても、良いお年頃になると他人の部屋なんてめったに行かないのでw、あれそんなのあるんだー、後ろの観葉植物キレイだねー、とか話題の一つにはなるw
後は家族乱入とか子ども乱入とか、そういうのをその会合が善しとするか。
古い感覚でいうなら「家族の居る居間で友達と大声で(延々と)電話でバカ話できるか」みたいな問題。
自分はそのまま家族には「ちょっとビデオチャットやるから、用事あるならいったんノックしてね」ぐらいの言付けで事足りた。
フツーにぼそぼそ声でもマイクが拾ってくれるので外にも特に声は漏れなかったらしい。
わざわざどこかの都市に電車で集合して、一定の決められた時間にきっちり集合して、という縛りがないラクさ。 そのお店の名物料理を共有したり濃厚接触wしたりする事は無理だけれど。
実際3時間ぐらいダラダラやったうち、ZOOMそのもので遊んでたのを除くと、呑み会らしい会話なんて10分もなくて。 普段、部屋飲みする人なら、飲みながらスマホやPCでYoutube見たりとかチャットやる相手が、たまたま知り合いなだけ、っていう感覚。
特に運転代行してまで呑み会やるような地方ではオンライン会合は導入しても良いかもしれない。
そして開始時間や終了時間はあってないようなものなので、開始はさすがにこの辺で、と決めておかないと集まりようがないけれどw 場所代が無料(電気代と通信代は当然かかるけれど)というのも大きい。 オンライン呑み会といっても、実際に酒なくても良いわけだし。
気が向いたらフラッと立ち寄る、なじみの多い酒屋、という感覚に近いですかね。
つまり再度書くけど、異常に敷居が低いんですよ。場を盛り上げようとか、会費ぶん食べるぞー、とかそういうのがない。 いやそれを否定してるわけじゃなくて。ゼロサム優劣ではなくて、これもありなんじゃない?って発想。
そこをどうとらえるか、ですね。
シゴトで?
自分はシゴトでリモートやった事はないけど、ただダラダラ延々つなげておく、というのでなくて、定期会合みたいに時間指定して会議として使うんであれば、かなり綿密に資料を作成しておいて会議に臨む必要姓があるなと感じた。 (海外では~の出羽守たちによれば、それができないから日本の生産性ガーとなるようですがww) つまりある程度はIT側にシゴトスタイルを寄せる必要姓がある。個人ではなく組織として。
でも、「だからリモートは~」みたいな否定派もどうかと思いますけどね。 ガラケー派とかによくあって、最初から否定的"感情"で、新しいモノを一律否定もどうかな。 自分の不作為(努力?)を責められてると思うからなんでしょうけど。
チャットやメールが出来たからって電話が廃れるわけでもなく。 メリットデメリットを理解して使い分ければいいと思うんですね。
最後に
オチ的に書いておきますと、これは私用PCを使わざるをえないビジネスのリモートでも一緒かもしれませんが、私用PCというのは普段皆様に見られるように作り込んでいるわけではない訳です。
画面すべて共有じゃなくて、ブラウザ単位で共有する場合でも、そのブラウザのブックマークバーや、何より検索履歴(提案)で他ならぬ秘めた内容が相手にバレてしまうことも、ちゃんと身辺整理?してから臨んだほうが善いようですwww
社会的NGワード←どんなのだwでなければ、それ自体も呑み会のネタとなって面白いと思いますけどね(実際そうなりましたが)。
年賀状(いまどき)で今年は飲もうね、みんなで会おうね、とか毎年書いてるだけの相手とかw、次は飲もうね~と毎回合い言葉のように交わすだけの相手とか、歳をへるとそれぞれのしがらみや忙しさもあって増えていくと思います。 でも、そんな方々とも、10分でも会話できる選択肢がある、簡単に作ることができる、っていうのは、リアルかネットかってありがちなギロンする前に、検討するに値することなのかなっておもいやした。
音をコミックで表現した希有なゲンオン漫画
さそうあきらという人は、音楽を漫画の表現に昇華するのが巧い人。 ミュジコフィリア。5巻組です。
同じ作者で「神童」という天才少女ピアニストと音大生の交流を書いた漫画があります。
こちらは4巻組。
その中で音大の学祭でガムランを扱ったサークルの紹介がある。
つまり今までの西洋の文脈になかった東洋の音楽(の西洋音楽の立地からの再評価)という新しい視点が見えるか、と思ったら漫画は終わってしまいました。
ミュジコフィリアは、民族音楽そのものではないけれど、ある意味その部分を思いっきりテーマにした漫画だと思います。いわゆる現代音楽。音そのものを追求している方々です。
コンテンポラリー=同時代の音楽、という意味での現代音楽は時代とともに当然変遷しますので、ここで扱うようなものは便宜上カタカナ表記にしてみますw
ゲンダイオンガク
本編でも出てくるが、ゲンダイオンガクというのは「未聴」、今まで聞いたことない音(ひいてはそこから作られる音場も?)を評価する分野。
つまり、言い換えるなら今まで出てきた大抵の音楽を知らないと、「未聴」を評価できない、ことになる。
聴いたこと無いぞ!?という感覚を持つには、「なんだよ聴いたことあるよこんなの」という積み重ねがないとイケナイ。
つまり、どの分野でもそうだけどコンテクストを知らないとあかんと。
だから敷居が高い。
西洋の音楽史はだいたいグレゴリオ聖歌からはじまるが、そこから連綿と1000年ぐらい?続いてきた楽理とかオーケストレーションとか、西洋音楽理論みたいなものが積み重ねられてきた。
その理論は、20世紀にコルンゴルトなどを経て映画音楽に転用(ジョンウィリアムスとかね)、そしてバークリーメソッドとして商業音楽の、職業編曲家のブキ(武器)として使われるようになった。
もはや、十二音技法とか微分音とか無調とか、技法=テクニックのひとつとしてそのメソッドに組み込まれたりしてるわけですが、ガチなゲンオン界隈の人たちはさらにストイックにタコツボを攻めてらっしゃるわけです。
このコミックはそのガチな方々を扱っていますw
Sound of MUSIC
サウンドとミュージックは似ているようで違う。サウンドは鳴っている音そのもの。聞く(聞こえてくる)もの。hear。
ミュージックはそこに技法=アルス=人間の思惑が加わると思うわけ。聴くもの。listen。
雨が降っているときに雨粒が勝手に缶にあたってキンコン鳴っているのはサウンド。
雨粒の流れや缶を巧く配置して心地よく(リズムだけでも)構築したのがミュージック。
ゲンオンの場合、サウンドそのものが心地良い場合もあるし、リクツ先行で解説きいてああなるほど、となるものも少なくない。
解説きいても「はあそれで?」というのも当然少なくない、というか多いのでw、やはりゲンダイオンガクは敷居が高い。
アートとのつながり
そういう意味でゲンダイオンガクはコンセプチュアル・アートに一脈通じる。
トリエンナーレとかで、何かがおいてあるだけのインスタレーション作品とか見ますでしょう。
デュシャンの泉みたいなもので、レディメイド(大量生産された既製品)に新たな意味を付加させる。
例えば等間隔に並んでいる靴箱、みたいなのがあるとしても、
白白白赤白白白赤
とか一定の間隔に並んでいるとかならば、そこにはリズムが生まれるし、
実はこの赤には最近話題になった抑圧された民衆の闘争のリズムを表していて、とかコメントすれば、
まあ作品になっちゃうわけですw(言ったモノ勝ちですね)
単純に赤のリズムが愉しいね、というのは先のサウンドオブミュージックで言えば、
心地よい音だね=サウンドを愉しんでいるというわけです。
でもそのさらなる意味は、背景やそれまでの意味を知らないとミュージックとしては理解しえない。
もちろん、上記の靴箱の例のように、さらなる意味が「はあ、それで!?」のパターンもありますがw
プレイヤー主体
コンセプトを音に昇華するので、(自作)楽器や、演奏技法に精通している必要もあります。
つまりプレイヤーに相当依存するジャンルだと思われます。
図形楽譜なんかはある意味、創作をプレイヤーに丸投げだと思うわけですw
Classic
そしてなにより、クラシックのClassは階級の意味もある。特進クラスとかね。
簡単に言えば人生にヨユーのある人たちが連綿とつむいできたジャンルな訳です(言い切るw)
例えば産業革命で中産階級ができてヨユーが出てきた人が増えたから、カワイイあの子と連弾(ブラームスの連弾とか)したり、合唱したり(パート・ソングとか)、それで食っていけるから作曲家も作品を作る。
或いはいわゆる劇場での一般市民向け音楽のみのコンサート(いわゆる現代のコンサート)、の歴史だってそのころからでしょう。
それまではヨユーのある貴族とかの特権階級の宮廷、或いはサロンとかで(もっと前は教会で)西洋音楽は作られていた。
なのでそもそも教養を前提としてる。神話だの歴史だの、(そして演奏技法も)知っていて当然の人を対象に作られている。
それらをコンテクストとしてゲンダイオンガクは成り立っている。
ポスト・クラシカル
マックスリヒターとかエイナウディとかあのあたりの音楽をポスト・クラシカルとして分類する向きがある。
いわゆる対位法とか、楽劇上のなんとかのテーマ(モティーフ)とか、そういう理論=ミュージック的なのをすっとばして、まずはサウンドありき、で心地よい音(場)で魅了してる方々です。
19世紀ロマンぐらいまでのいわゆるクラシックの聴き方をしている方々からは「飽きる」の一言で一蹴されがちですが、どちらかというと能動的に聴く、より感じる音楽だなと思います。
言い切るとアレだけど、それっぽい映像やプロジェクションマッピングのような視覚要素とも抜群に相性が良い気はします。
(実際マックスリヒター初来日のすみだトリフォニーでは、普段のクラシックコンサートでは見ないような照明が使われていたような・・・)
おわりにw
なんだか脱線したけれども。そういう流れのあるゲンダイオンガク、を扱ったコミックです。
音大生主体の漫画ですが、創作の苦しみやおもしろさ、は音楽を超えて共通したものです。
むしろ、音楽や歴史知らなくても愉しめます。ちゃんとコンセプト部分は説明してくれるし、冒頭でも書いたけどこの人、音を絵にするのが抜群にセンスいいんです!
オススメ!
オーケーGoogle(その5)
いままでのまとめ。 ruirui2978.hateblo.jp
最近のスマスピ活用例。
内容的には別に珍しくはないとは思う。
サマリー
グーグルの方は3台運用なので、サブスクもGooglePlayMusicだし音楽メインで使用。
夜中なのか昼間なのか、とか再生する時間帯に応じて、1台だけ鳴らすとか全部ならしてリッチに、とか使い分け。
アマゾンでも抱き合わせ等でやたらとセールのたびに安く売ってはいるけれど、ここでアレクサもステレオにしてもなあ、というのはあるので、保留。
ブロードキャスト
むしろ、グーグルの方でブロードキャスト機能つうのが興味あるかなという事で、別の部屋用にGoogle Home買い足しはありそう・・・
ニュースをきく
個人的にはやはり寝てたりして端末触るのすら面倒くさいときにボイスコマンド善き、って感じなので、朝イチとか寝る前とか、音声でニュースを聞くというのを最近はよく使う。
「OK Google、ニュース」「アレクサ、ニュース」
だけで、設定したニュースが流れます。
もともと何か設定されてたような気がしたけど、アプリからそのニュース元を詳細設定できた気がした(忘れたw)
NHKラジオとかJ-Waveとかで登録すると、スマスピの機械音声ではなく、それぞれの登録された音声ニュースが、こちらの都合良いタイミングでのタイムシフト視聴みたいな感じで聴ける。
J-Waveなんかは、ラジオでよく聴くHeadline News J-Wave~♪からニュースが流れ始めますw
テレビと違ってながら聴きできるので善きです(音声だけならテレビでもできますけどね/ラジオなら音声前提のしゃべりではある)
少子高齢化対策・・・
今更ながら図書館で借りてきた。
o-o
何かを維持するにはエネルギーが必要で、それは機械とか自然だけではなく、社会や都市、ひいては国家というのもそうなんだろう。
都市や国家でも血液のように循環するモノが必要で、それは現代の日本ではシンプルに言えばオカネなんだと思う。
労働人数×内容の質=結果
みたいな図式なら、少子化は労働人数が減っていくと。
世の中でオカネ(の循環)の仕組みを生み出せる人というのはそう多くない。だからみんな既存の仕組み=看板背負って雇われ=リーマンになるわけだ。
銀行だって二人三脚で一緒に産業を育てていく、なんていう理想はなかなかできないのが現状でしょう。
つまり、そのもともと存在する仕組み=カンバンで生産・循環できるオカネの上限=パイというのもあるわけで、AIだ自動化だ、と内容の質を変えても、劇的な変化は表れづらいだろうとは感じる。
だから上記の図式で労働人数が減る=少子化ならば、サービスが維持できない、会社が維持できない、自治体、国家といったコミュニティが維持できない、と。
まあでも、考え続けていかなければならない、というのが対策としての一番シンプルな方向性なんだと思うけどね。
o-o
出版から2年、どこかで見聞きしたような内容もチラホラある。
統計の数字は数字でしか無く、そこから具体的にイメージしやすくここまでまとめてくれたのは有難い。
65歳以上を高齢者とする定義を前提にいろいろと話してるのに、処方箋1で、まだまだ元気な高齢者の現状にあわせ75歳以上とか、定義を変えてはどうか?、とかちょっと腰砕けw
ただ、現状に合わせた上で再検討する、っていうのは当然すべきとは思うけどね。
女子中学生に「大人は何か隠している」と言われたことが執筆動機の一つと後書き(P204)にあったが、これはグレタちゃんの発言をも彷彿させる。若い彼らには他人事ではいられないのだから。
o-o
結局のところ、少子高齢化と単語としてはまとめられるけど、少子化と高齢化はつながってるけど対策はそれぞれ別だ。
しかしまあ、子育て支援とか保育所増やすとかしてはいるけれど、
そもそも結婚しても子どもを生まない家庭も少なくない、
そもそも結婚する率も減ってきている(未婚率増加)、
と、お母さんそのものが減ってきている、という話も聴いた。
というか、少子化で子ども=未来のお母さんたり得る女性の数、も男女1/2の確率としても、そもそも減ってきているというわけだ。
人口統計は割と正確だという話もきいたけれど、それに応じた先読みの運用等で頑張ってみんなで知恵を絞れば、社会問題としては、この本通りにはいかずにソフトランディングも可能というところだろう。この本の予言が当たってた外れてた、とかそういうのはあんまり意味が無いギロンだ。
ただ、ギロンのたたき台としてはすごく良い提言となっている(た)んじゃないかこの書籍。
o-o
知の巨人村(P188)構想は、少子高齢化そのものにどうか、というのは別としても、アイディアとしては、いろんなジャンルに応用聴きそうな感じはある。
大学教授の外部記憶装置とも言える膨大な蔵書の書庫を、空き家となった地方で受け入れてはどうか、そしてその際に、同じようなジャンルでまとめて誘致すれば、そこはそのまま学際的な学部としても機能するんじゃないか、みたいな趣旨。
レトルトカレーができるまで
いつの動画だかはわからないけれど、見てて思うんだけど、これ人が介する必要なくね?っていう部分も感じたり・・・ 材料をはかりで量って調理機械にいれるのとか、自動化できそうな気もするんだけど・・・
新しい世界史!?
たまたまKindle Unlimitedで出てきたので読んでみた。
「歴史に善悪二元論を持ち込まないこと、歴史は法廷ではない」(終章)
モンゴル、遊牧民の視点から歴史の"事実"をつむぎ直してみよう、という発想の本。
事実をストーリーとして紡ぎ出すには語り部の都合がどうしても生じるため、特にここ100年以内に新しくできた中共や朝鮮の政権などは自らの正当性を保持する為に、過去や関わったモノを必要以上に否定するストーリーを構築する。
チンギスハーンの時代のモンゴルは侵略者、大日本帝国は侵略者、という視点はまた、偏った史観ではないのか、という提言。
それを単純に鵜呑みにするのでは無く、日本人として自己中心史観でもない、しっかりとした歴史観を作ろうよ、と。
大日本帝国以降の時代の話は、日本が世界の表舞台に出てきた時代でもあるので、一気に登場人物が増えるし、関係各国のそれぞれの思惑で、それぞれの事実が、それぞれの側面で語られる。
特に中華民国(人民共和国ではない)ができたあたりの20世紀初頭の大陸は内戦状態だったわけで、言ってみれば日本の戦国時代みたいにあちらこちらで軍閥が群雄割拠、ナントカ政府もたくさん樹立しては消えていった。
中高の歴史の授業ではまずやらない(やろうとしても時間が足りない?)ので自分で補完するしかないが、編年的に事実を述べられるだけでは頭に残らないし、網羅的に体系的に独習するのはなかなかにムズカシイ。
まずこれらの事実を把握して自分の中で昇華する必要があるのだなと。
ただ、事実は事実としても網羅的に詰め込みすぎなきらいもなく、ある程度通史を知っていた方が面白さは増すかなと思う。
AMAZONレビューでも低評価なのは「文章がこなれてない」とつまり読みづらさを批判している。
まあ、歴史的なファクトは、批判的に見るためにも多角的に知っておいた方がヨイとは思います。
o-o
同じような時代の話を、20世紀中国(傀儡)政権特集、というカタチで本にしたものもある。
これもストーリーではなく客観的に事実を述べよう、とする意思は感じるけどその分情報量が半端なく、一度通読しただけでは当然追い切れない。 キッチュな表紙からは想像もつかないマジメな本だったw
SNSは要はサブスクなんじゃないか説
モノやコトではなくヒト消費。
何かモノを買ったりコトを体験するのは、ひろく交際費の一環ではないか、という感じの記事を最近見た。
今の若者からは平成の間にいろんなモノが離れていったけどw、結局のところ所得その他が目減りしたので、 全体的なオカネの循環がショボくなったので、消費のパイが小さくなった、 から活動の幅も小さくなったんじゃないかな、というザンギリな感想をもちつつ。
ただSNSはあるからわざわざ飲み会に行かなくてもコミュニケーションはとれる。 その上でわざわざ膝つき合わせてまで会うヒトたちは特別なコト、ヒト、なのかなと思う。
そう考えると、SNSというのはサブスクに似てるなとも感じる。 音楽も映画も、わざわざ個別に買うのは特別ななにか、みたいなね。
それが良いのか悪いのかは、その人(とコミュニティ)の関わり度合いと運用次第なんだろうけどね。